先般日本中に物議を醸した静岡県
川勝元県知事の新規採用職員への
訓示について・・・
「県庁はシンクタンクです。
野菜を売ったり、牛の世話をしたり
モノを作ったりということと違って
皆様方は頭脳、知性の高い方たちです」
というくだりが世間を驚かせたのは
記憶に新しい。
まあ、ひとことで言えば
「バカにしている」
に尽きる発言でしかない。
私が思うのは、そもそも
「頭脳、知性の高い人」
という認識についてである。
川勝氏の言う
「頭脳、知性の高い人」
というのは何を持ってそう言うのか。
それは間違いなく
学業成績が良く、そして有名大学を
出ていることに他ならない。
つまり、
“お勉強が出来た子供”
それが
「頭脳、知性の高い人」
ということであろう。
お勉強すなわち成績が良かったら
頭脳や知性が高いという認識だろう。
成績が良いということを頭から
否定するつもりはありません。
良い成績をとって一流大学に合格する
というのは、とても努力をしている
と思うからです。
そういう意味では、受験勉強という
大変な思いをして合格し、卒業した
貴重な経験と言えるでしょう。
問題なのは、
「野菜を売ったり、牛の世話をしたり
モノを作ったりということと違って」
という部分です。
そういう職種の人たちは、まるで
頭脳や知性が高くないかのように
受け取れるからです。
実際、どんな職業も頭脳が必要であり
知性を持った方がいらっしゃいます。
県庁職員が必要とする頭脳や知性とは
ベクトルが違うはずです。
公務員というのは比較的安定しており
就職先としては昔から人気が高い。
公務員試験の倍率も高く合格するのは
簡単ではないと聞きます。
でも、結局何を基準に採用するのか
と言えば、成績即ちテストの点数です。
そしてどこの大学を出ているのか
というブランドも影響するでしょう。
私の親の世代やそれ以上の世代で
いい学校(有名な高校や大学)を出て
いい就職先(公務員や大企業)に就く…
というまるで神話のような世界が
そのまま続いているようでならない。
そして一生安泰に暮らせる環境つまり
終身雇用が約束されている就職先に
入るために頑張るのである。
これって今の世の中、一般社会では
だいぶ通じなくなっている常識?
それが県庁職員等の公務員の世界では
デフォルトなのでしょう。
私の個人的な考えとしては、
成績の良かった、お勉強のできた子が
何を持って「優秀」と言えるのか。
そしてそういう人たちが何を持って
頭脳や知性が高いと判断できるのか?
さらに100歩譲ってそうだとして、
公務員(県庁職員等)にそもそも
頭脳や知性が高い人が必要なのか?
ということです。
公務員(県庁職員等)は年収も高く
安定している職種です。
就職先として魅力があるのは理解
できます。
でも、給料が何処からでているのか
と言えば、国民(市民、県民)の税金。
それは、
農林水産業という第一次産業生産者
だったりものづくりや加工を行う
第二次産業だったりサービス業…etc
などの第三次産業というすべて
何かしらを創り出す仕事から生まれる
利益に基づいています。
方や公務員(県庁職員等)の仕事は
創り出す仕事ではなく(一部はあるが)
事務作業であり自ら利益を生み出す
仕事ではありません。
職種(目的)が違うので当然なのですが、
言うなれば“後始末”的な要素が強い
と考えます。
もちろん部署や職種の中には、
とてもクリエイティブで創造的な仕事
をしているところもあるでしょう。
でも全体の多くの職員は“後始末”的
事務作業や調整的な要素の多い仕事を
していると考えます。
そうなると、私が感じるのは、
「何故優秀な人材が必要なのか?」
ということです。
成績の良かった、一流大学を出た
“頭脳、知性の高い方たち?”
の能力を何に使うのか?
素朴な疑問としてそう思います。
こんなことを言うと、
「内情も知らないくせに・・・」
という声も聞こえてきそうですが、
実際に日々緊張感の中で血の汗を流す
くらいの経営者や中小企業の努力とは
解離していると思うのです。
たとえて言えば、
幕府や朝廷が農民から年貢をとりました。
それがあっての幕府や朝廷でした。
極論になりますが、
米や野菜、魚、肉などの食べ物があれば
生きられますが、役所だけあっても
生きてはいけません。
実際はどちらも必要には違いないので
それを言ってしまったら話にならない…
と思われるかもしれませんね。
卵が先か鶏が先か…
みたいな話になってしまいましたが、
個人的には「優秀」と言われるような
“頭脳、知性の高い方たち?”
は公務員になるのはもったいない…
そう感じるのは私だけか・・・
最後までお読みいただきまして
ありがとうございました。