コンビニ経営が暗礁に乗り上げて、
止む無く撤退することになったのですが、
その後、文字通りの“地獄”が待っていました。
コンビニ経営から止む無く手を引くことになった
経緯は、以下のページでもお話させていただきました。
さて、コンビニをこれ以上続けていくことは、
赤字を増やすことでしかありませんでした。
傷の浅いうちに辞めることがいいのは、
もうわかっていたのですが、生業としていたので、
なかなか決断ができませんでした。
心のどこかに、
「いつかお客さんが戻ってきてくれる!」
「また以前のように売り上げ回復するのでは!」
という根拠のない、希望?や夢?のようなことを、
どうしても考えてしまう自分がいました。
そうこうしているうちに、赤字の金額が膨れ上がり、
“傷の浅いうちに辞める”
という状態から既に手遅れになっていました。
今だからわかるのですが、
世の中には、コンビニに限らず“廃業するべき店舗”
言わば「赤字なのに続けている店舗」は、
とても多いはずです。
街の商店街などに多い業種店・・・
酒屋、肉屋、魚屋、靴屋、呉服屋、やおや…etc
郊外の大型ショッピングセンターができたり、
ドラッグストアやコンビニが出店したことで、
経営が成り立たなくなる場合が多いようです。
ただ、中には業種店の強みを生かして、
大手にはできない商品や客層に特化して
成功している場合もあるでしょう。
でも多くの売り上げ不振店は、
旧態依然とした販売(経営)方法から抜け出せず、
新たな挑戦もできずにジリ貧状態に陥ります。
何代も続く老舗であれば、なおさらでしょう。
私の場合は、老舗ではないにしろ、脱サラして、
大きな借金までして自分で立ち上げたという、
変なこだわりであり思い入れがありました。
それが決断を遅らせたのは間違いない事実。
それでもコンビニは、もう既に死んでいるのと同じ
という現実を何とか受け入れざるを得ませんでした。
プロフィールにも書きましたが、
当時腰椎椎間板ヘルニアを患っていたこともあり、
逆境に立ち向かう気力もありませんでした。
そして、コンビニチェーン本部との話し合いを経て、
ついに経営から手を引くことになりました。
さて、
経営から手を引いたと言えば聞こえはいいですが、
現実はほとんど“倒産”状態と同じです。
創業時には、とても気前よく融資に応じてくれた、
銀行をはじめ様々な融資先、そして加盟していた
コンビニチェーン本部からなどすべてが、
手の平を返すように怒涛の返済要求!
コンビニを辞めるという手続き自体は、
いたって簡単なものです。
ただ、私のように決断が遅れることが、
後々予想を遥かに超える大きな問題になるとは
夢にも思っていませんでした。
甘かったの一言です。
銀行などの金融機関の噂で耳にしていた、
「晴れの日に傘を貸して、雨の日に取り上げる」
という言葉を思いだしました。
そしてまさにそれを、身をもって体験したのです。
融資を受けた当初は、にこやかな顔で対応してくれた、
ほとんどの金融機関の融資担当者の態度は一変した。
酷いところは開口一番、
「返せないのなら担保(家・家屋)を処分しろ」
「親戚でも知り合いでもまわって用意しろ」
などというまるで闇金もどきの言葉で迫られました。
どうしたらいいのかとても悩み苦しみましたが、
ここである決断をすることのなるのです。
その決断また大変な事態を生み出すのです。
続きは次回にお話させていただきます。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。