私は高卒ですが、実は数年前に大学へ入学し、
講義を受ける日々を過ごしました。
何故、私が大学へ行くことになったか…
私は、プロフィールにもあるように、
最終学歴は高卒です。
そんな私が、数年前に大学へ行くことになった。
と言っても、入学試験を受けて合格した!
ということではありません。
一般市民で、年齢に関係なく大学を体験できる
っていうアレです。
1年間程度の限定で、幾ばくかのお金を払えば、
自分の希望する学部の講義を受けることができる
という、言わば“体験学習”的なものです。
私が通っていた高校は普通科ではなく、
大学進学率は、普通科の足元にも及ばない
低い商業高校でした。
それでも、成績が良かったり、スポーツ推薦で、
普通科でもなかなか入れないような有名大学の
枠で進学する生徒もいました。
でも、そういう生徒はほんの一握りに過ぎず、
大学進学した生徒の多くは、“とりあえず大学”
的な二流・三流大学でした。
何を持って二流とか三流と言うのかわかりませんが、
私の感覚では、
「名前を聞いたことがないような大学」
という認識でした。
私の通った高校も、大学進学を目指す普通科の
高校から見れば二流とか三流なのかもしれません。
でも、私が考えるのはどんな高校や大学でも、
本人が行きたいという意思や目的があって
選んだ場合には学校名のブランドというのは、
関係ないということ。
問題なのは、特に何をしたいわけではないけど、
とりあえず入れる大学へでも行っておくか…
というスタンスの進学でしょう。
まあ、それでも入学した大学での日々を、
過ごすうちに、何かしらの目的を見付ける
という場合が無いとも限りません。
ですから、大学へ行くことが無駄ではなく、
大学生として遊ぶことも含めた経験を得るのは、
決して悪いことではないと考えます。
さて、
私の高校時代は、まだ学歴至上主義がはびこっており、
有名大学は勿論ですが、「大学を卒業した」
ということ自体が評価される時代でした。
そしてよく言う、
大学を出て、いい会社に就職すれば老後も安泰!
という年功序列的な社会がまだ信じられていた時代。
もちろん現在も、「大学を出ている」という
ブランド力的な要素は、就職時にはある程度
効果があるのは事実です。
私がアラ還なのに、大学へ行ってみたいと、
思ったのは、理由があります。
一つは、大学へ行っていないコンプレックスが
あって、どんなところか見てみたい!
という素朴な疑問というか興味からです。
そしてたまたま、自分の生業としている
PC(パソコン)に関連したプログラミング
に関する講義があったことでした。
私は、プログラミングを組むことは出来ませんが、
どういう仕組みなのかを知りたいと思って、
申込をしました。
今では、小学生からでもプログラミングを学ぶ
という授業があるそうで、羨ましいです。
とはいえ、私は今からプログラマーになりたい
というわけではないので、ちょっと邪な理由と
言えるかもしれません。
実際に、某大学の工学部へ期限つきとはいえ、
生徒として正式に入校させていただきました。
1週間に2回程度の講義だったと思います。
先ずは、講義を受ける学部の教科書を、
図書館らしきところで購入しました。
キャンパスが広いので、最初は教室を探すのも、
一苦労で、若い学生に聞いてたどり着きました。
講義の行われる部屋(教室というのかどうか?)
とりあえず始まる数分前に入りました。
まわりを見渡すと、ほとんどが1年生らしく、
18とか19歳の若者ばかり・・・
私のようにプログラミングを習いたいという
中高年はどうも居ないようでした。
初日に、こりゃ場違いだったか!?
とも思いましたが、周りの学生に話しかけると、
案外普通に接してくれたので安心しました。
実際に講義が始まりました。
確か、1講義が1時間半か1時間45分で、
中間に休憩時間がありました。
高校以来、
黒板を前に授業らしきものを受けるのは、
実に40年ぶりです。
懐かしい感じがしました。
実際に講義を受けてみると、プログラミング
というのは、けっこう難しいなと・・・
たとえて言えば数学の方程式を複雑にして、
そこへコンピューター用語を加えた感じ。
実を言うと私は、
学生時代から数学が苦手で嫌いだったので、
正直なかなかの苦行でした。
それでもパソコンは好きだったこともあり、
記号の入れ方をどうすれば指示が変化する
という基本的なことはわかりました。
そんな感じで、何とか講義を受ける日々を、
1年ほど続けたわけです。
講義の合間には、学食へ行ったり図書館や、
キャンパス内を散歩したりして少しは
大学生の気分も味わいました。
学生たちと同年代ではないので、
サークルに入ったり、仲間内で遊んだり
という経験はできませんでした。
それでも学生たちの若々しくハツラツとした
活気のある表情や声を聞くと、日本の将来も
捨てたもんじゃないような気持になった。
私の受けたプログラミングの講義は、
一言で言うと、とても事務的なものでした。
そんなものなのかなぁ~
とも思いましたが、楽しい雰囲気ではなかった。
講義をされる先生によっても違うんだろう
と感じました。
一緒に講義を受けている学生たちを見て、
この子たちはどんな未来を描いているのか?
そんなことを考えていました。
プログラミングを学んでいるということは、
やっぱりプログラマーを目指すのかな?と…
そんなことを思いながらも講義を受けて、
私の学園生活終了が迫ったころ。
来週は、試験を行いますとのこと・・・
学期末だったかなんだか覚えてないけど、
とにかく今まで受けた講義の試験らしい。
翌週、試験を受けました。
問題を目にした私は、“目が点”になった。
回答は、〇×でもなければマークシートでもなく、
選択するタイプでもなかった。
全部、プログラミングにおける動作の理由を
すべて文章で説明するという難問でした。
仕事の合間に、片手間な気持ちで講義を受けていた
私の結果は悲惨なものでした。
零点です。
まいったな・・・
と思う反面、まあ当然だろうな・・・
という気持ちでした。
それでも、大学へ約1年間通ったという事実と、
大学の講義は、講義でしかないということを、
感じました。
大学の講義を受けて仮に試験で高得点でも、
それ自体は、実社会での能力とは違うということ。
即ち、成績がいいことと、自分で稼ぐ能力は、
全く別の次元だということを痛感しました。
私も家がある程度裕福だったら、
もしかしたら大学へ行っていたかもしれない。
どちらかと言えば、貧乏だったので、
もし目的もなく大学へ行きたいとごり押ししてたら、
親にとんでもない負担を掛けていただろう。
大学へ行くという意味を、
大学へ通って講義を受けてみて再度考えさせられた。
そんな体験でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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