不登校~引きこもりからやっと一歩踏み出した娘

コンビニをオープンしたちょうどその年に、
男の子しかいなかった私たち夫婦に待望の女の子が
生まれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出産を立ち会った我が娘もはや23歳。

 

 

そんな可愛かった娘が、中学1年の終わりころ
不登校になった。

 

まさか自分の娘が不登校になるなんて・・・

 

 

テレビなどで、不登校をまるで他人事のように…
見ていた自分としては衝撃だった。

 

 

不登校の理由は最近でも多い「いじめ」

 

 

それからというもの、全く学校にはいかなくなり、
完全な「引きこもり」が続いた。

 

 

どうして私を生んだのか?

 

 

生んでくれと頼んでもないのに勝手に生んで、
私がこうなったのは、お前たちのせいだ!

 

 

コンビニをオープンしたの約1週間後に生まれた娘は、
両親に預けることも多く、大切な幼児期をいっしょに
過ごす時間が少なかった。

 

 

そんな理由もあって、私たち夫婦は自分を責めた。

 

 

精神科や心療内科、カウンセリングなど、
あらゆる治療を試みました。

 

 

それでも症状はどんどん悪化していき、
母親を罵倒したり、毎日何百回(大げさでなく)
謝罪させられる日々が続いた。

 

 

本人にしてみれば、怒りや悲しみ、不安などを
ぶつけるところがなかったのだろう。

 

 

妻は、ほとんどノイローゼ状態だった。

 

 

私は、といえば思春期特有の「父親嫌い」で、
まったくコンタクトも取れない状態。

 

 

不登校が始まった当初は、まだ仲良く話したり
ドライブしたりしてました。

 

 

ところが、年月が経つにつれて
私を避けるようになっていき、最終的には
妻としか接しないようになりました。

 

 

私にとっては、たった一人の娘であり、
結婚当初からほしかった女の子ということで、
とても寂しかったのを思いだします。

 

 

中学も2年、3年と不登校のまま、
高校進学どころではなく高校へ行っている
である3年間も引きこもってました。

 

 

そういう状態が、結局5年以上続いた。

 

 

そして、少しづつではあるが、フリースペースなど、
人と接する機会が増えていった。

 

 

そこまでたどり着くまでの話をすると、
とんでもない時間がかかるので、割愛しますが、
簡単ではありませんでした。

 

 

何度、匙を投げようと思ったことか・・・

 

 

女の子でも、暴力もありました。

 

 

カウンセラーなどは、妻に家を出て逃げろ!
と言ったほどひどい時もあった。

 

 

でも最終的には、わが子がかわいいのが親。

 

 

いろいろあったけど、18歳になった頃には、
合宿タイプの支援施設で生活してました。

 

 

やっぱり、親より他人です。

 

 

まだまだ安心できませんが、
暖かくそして焦らずに見守りたいと思います。

 

 

不登校~ひきこもり解決までの話については、
話せばとても長くなります。

 

 

また別の機会にお話させていただきます。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

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